全共闘
先週末、大学祭(五月祭)の会場で全共闘の騒ぎから40周年を記念していくつかイベントが開かれた。NHKの取材が入り、イベントも盛り上がったようで何よりだ。ちょっと思ったことを書き留めておこう。
なぜ、いま全共闘か?
40年経って、全共闘世代が定年を迎え始める時期だから、という理由が一番大きいのではないか。逆に捉えれば、全共闘のさまざまな面を論じられるようになるまでこれだけの年数がかかったのだ。あれは「反」社会的な運動だったから、とまれ社会に組み込まれた人たちはこれまで語る口を持てなかったのだろう。
別に、全共闘から何かを学び取ろう、みたいな姿勢はいまさら要らない。いま全共闘を語る意味は、当時のことに蓋をしていた人たちが自分の気持ちに整理をつけること、あるいはそういう人たちの子が、親に見てきた陰の部分を詳らかにすることにあるだろう。
全共闘世代の人たちは、権威とか歴史とか、積み重なったものを突き崩すために動いたのではなかったか。それらに何かを「学ぶ」とすれば、壊すよりも直したり創るほうが偉大だ、という反面教師的な意味合いしかないような気がする。なぜなら、全共闘世代は自分たちが権威となることを求めてはいなかったはずだし、すでにある枠組みの問題を突いて壊すアナーキストたちは、先例などを気にせず活動する姿勢こそ本分なのだから。
いま全共闘のような騒ぎが起きないのはなぜか?
三つに分けて考える。
情報インフラが違うから
昔はネットも携帯もなかった。情報の伝達はテレビなどのマスコミと、口コミで行われていた。マスコミの支配力が強い一方で、近しい人たちの怒りなどの感情もとても濃い密度で伝わってくる時代だったはずだ。もともと小さな怒りの声だったものが局所的な竜巻となり、その運動が口コミの速度では統率されない規模になった頃合いで、ちょうどテレビなどマスコミによる報道が始まって嵐が起きたものと想像する。
なお、今では「東大全共闘が失敗に終わるのははじめから分かっていた」と言われる。マスコミが東大全共闘という運動を報道したのは多分にそれが東京大学の学生たちによる反抗だったからであり、その意味で運動は東京大学の権威に依拠していたと言える。つまり壊そうとしている対象に自ら頼っており、明らかに自己矛盾していたのだ。
社会が違うから
今は昔より社会が成熟している。何だかんだいって昔よりも国民全体の平均的な生活水準はあがっているし、不満が出てもそれはあくまで個人的なもの、あるいは社会の別の場所を少し覗けばあちこちで見られる程度の、粒度の小さな不満が多い。
情報インフラとからめて考えれば、みんなも我慢しているんだ、とか、みんなもそれなりに苦しんでるんだ、というのがすぐに分かってしまう社会だから、自分も我慢するか、仕方ない、というふうになりがちだ。
個人が違うから
昔の学生は粗野で素朴、というのはよく言われるところだ。インテリゲンチャでさえ、みんな定番となる教養の本を共有しており、ある意味で画一的な読書生活を送っていた。だから思想の傾向が似やすくて、大人数が団体としてまとまるために十分な共通基盤があった。しかし今はどうだろう。教養の〜冊、みたいな、ある層なら誰しも通用する常識は存在しないし、アイドルですらみんな好みはばらばらだ。
これは、戦後ずっと続いてきた個人主義の流れのままに今まできていることを示しており、全体主義的な(ともすれば危ない)流れに国全体が行きにくいことを意味している。まぁ、欧米から輸入された個人主義が元々のそれと似て非なるものになってる…というのはまた別の話だ。